子ども達の笑顔をたくさんの人たちが求めているはずなのに、どうしてそれが実現しないのか、そのことについては〈たのしい教育〉のメインサイト⇨こちらにもいくつか書いてきました。興味のある方は、検索してみてください。綴る時期によって視点も違ってたのしめると思います。
「衣食足りれば他人の笑顔」を求める人たちとは別に「衣食足りても自分の笑顔」の人たちは確実に存在しています。
教師を辞めてから、そういう人たちと関わることも少なくありませんでした。
そういう人たちを見分けるフィルターは〈お金〉です。
お金が行動基準の人たちがいて、その人達の関心事はいつまでたってもお金です。
お金を儲け続ける人たちは、つまり〈自分の笑顔〉が中心なのです。
〈衣食足り〉れば、自分に溜まるお金のことより、周りの人たちの笑顔を求めていく人たちと本質的に違っています。
子ども達がたのしむことでであったり、困っている人たちに手を差し伸べることであったり、社会の豊かさであったりetc.
それに力を尽くすことが「衣食足りれば他人の笑顔」です。
そのことは、しっかり自分に問いかけてみなくてはいけません。人間は頭が良いので、たくさんの理屈をくっつけて、いつの間にか自分の〈お金〉中心だったり〈出世〉中心であったり、〈権力〉中心の生き方をすることがあるからです。
幸い、お金中心、出世中心、権力中心といった〈自分の笑顔中心〉の人たちは、それが話の中に出てきたり、行動の中に出てきたりするので、気をつけていればすぐにわかると思います。
これまで私もなんどもそういう人たちに巻き込まれそうになりましたが、しばらくするとはっきり見えてきて、距離を置くことができました。
そういう人たちは残念なことに、確かに一定数いることを前提にしておいて、はじめの問題に戻りましょう。
どうして例えば〈子ども達の笑顔〉を求めているのに、それが実現しなかことも多いのか?
一つは「願っているだけでは叶わない」という実験事実があるからです。
今のコロナを落ち着かせたいと、世界中のほとんどの人たちが願っているのに、相変わらず沈静化しない結果をみても、それはわかるでしょう。
しかし残念なことに、願うことで叶うと信じている人たちがたくさんいます。
少し穏やかな考え方として「願うことからはじまる」という人たちもいます。しかし〈願わなくても叶う〉ことはいくつもあります。クラス替えの時にたまたま出会った友人と一生の付き合いをすることなどもそうでしょう。
たまたま通った道で人助けということもあります。それが元で、新しい仕事に就くことができたという人もいます。
話を少し戻しましょう。
「願っているだけでは叶わない、願っていても叶わない」のです。
ではどうすれば良いのでしょう?
国のシステムのせいにすればよいのでしょうか。
時代が悪かったといえばよいのでしょうか・・・
つづく
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